2000年時点では、ケニアの成人のうち何と9.3パーセントがHIV陽性という状況でした。治療薬が不足していたため、世界保健機関(WHO)は同じ頃、救命用の抗レトロウイルス薬(ARVとして知られるエイズ治療薬)は、患者のCD4カウント(免疫システムの健康状態を示す指標)が著しく低い値まで下がった場合に限って使用を認める旨のガイドラインを規定していました。これが意味するのは、ARVが使用できるのは患者の病状が極度に悪化した場合つまり、多くの場合、すでに手遅れの状態ということです。
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こうした厳しい状況は割りと最近まで、ドッティが19歳で妊娠していることが判明した2007年頃までは普通でした。妊娠中の検診を受けるためにクリニックを訪れたドッティは、HIV陽性であることを告げられ、徒歩で2時間も掛かる治療クリニックに行くように指示されました。カウンセリングもなければ、同情が示されることもなく、その後のフォローもありませんでした。
この経験は彼女の心に傷跡を残し、自分の状況は誰にも教えないし、治療も受けない、という負の感情を生みました。
ドッティの息子が彼女の腕に抱かれて息を引き取ったのは生後6週間の時でした。息子はその時見つけることができた一番小さな棺――料理油の箱に収められて埋葬されました。
数か月後、ドッティはエンバカシ健康センターを訪れました。